「新年という区切り」 と「1日を永遠にループする人生」
年末年始の空気感が大好きだ。
年末年始ってなんか哀愁があって、
とってもセンチな気持ちになれて妙に落ち着く(笑)
といっても、ここ日本では、年末や新年に、
太陽が一日中出なくなって1日中夜になるとか、
そういったわかりやすい変化もないので、前日とは、まったく何もかわらない。
でも新たな気分になれる。
昨日と今日の区切りをつけて、
昨日までは2017年、明日からは2018年とすると、新たな気持ちになれる。
だからこの、区切りって便利だし大切だ。
たぶん、人生に区切りがない場合、
永遠に続く感じのみだと、人はまったく頑張れない。
例えば、たまに漫画や映画などにもある
「ある1日だけを永遠にループする」そんな映画。
朝おきたら、またもとの1日、ある1日だけが永遠に続く人生、
そういうストーリー、そんな感じのもの。
これって、最初は楽しいかもしれないけれど、
結局、永遠にある1日だけを繰り返していたら、
最終的には、きっと無気力になってしまうだろう。
永遠はきっと無気力を生む。
区切ることで生まれる限定感、有限性。
限りがあること、有限だからこそある尊さみたいのが、たぶん人生にはある。
なお、人生の区切りは、その人次第。
自分のなかで、自ら区切りをつけていくってとても重要だ。
人生を3年くぎり、5年くぎり、10年くぎりで考えるのも、きっとそうだろう。
またもっと短くして、「今日が人生でが最後の日のつもりで生きろ!」
っていうのも、有限性をしっかり思いだせってことなのだろう。
そういえば、毎日が年末、次の日が新年の気持ちで生きたら違うかな?
毎日毎日、新年の抱負を作り、毎晩毎晩リセットしてしてしまったら、
どこにも辿り着けないかもしれない。
これって、ある1日だけを永遠にループする人生に似てくるのかも。
そうなると、区切りは短すぎるのも、ちょっとよくないのかもしれない。
いや、区切りは短くても問題なく、リセットしなければ、いいのか??
まあ、ちょっとこの話は置いといて、
話を急に今日の話に(笑)
今日、諏訪神社に初詣に行き、おみくじを引いた。
そのおみくじ『願い』の項目に、
『願い』:「たやすくはないが、思い続ければ自然とかなう」
と書いてあった。
「たやすくはないが、思い続ければ自然とかなう」
なるほど!そうなのか!
ただ、ちょっと思った。
この「思い続ければ」の 思い続ける ことを実際にできる人ってどれくらいいるんだろう?
僕も含めて、たぶん多くの人は、答えをもらったところで、
常にさらに何かもっといい正解を求めている。
「もっといい正解ないか?もっといい正解ないか?もっと近道ないか?」って、
常に探してまわってる。
でも、本当は、このように、絶対的な答えをすでに持っていることが多いわけだ。
僕の手元には、
『願い』:「たやすくはないが、思い続ければ自然とかなう」
という神様からもらった絶対的答えがすでにある。
なので、本来僕がやることといったら、もう1つしかない。
たゆまぬ努力で「思い続ける」ことを続けること、これしかない。
だから、この後、別の神様に祈りにいったところで、もう何も変わらない。
神様は、結局人生すべて自分次第です、とにかく進みなさいって、
絶対的な答えとして言ってくれているのに、また今日も僕は考えてしまう(笑)
きっと人生は、とってもシンプルなんだ。
すでに人生の正解はいたるところに溢れている。
でもなかなかできない。
まあ、でも、もしかすると、そこが人生のいいところなのかも。
すぐできたら有り難みもなくなるし、
なかなかできないというところが、
本当の神様からのプレゼントなのかもしれない(笑)
とにかく僕は、神様は本当にいると思うし、
神様にいつも感謝しています!
そして、改めまして、皆様、新年あけましておめでとうございます!
今年という区切りが、皆様にとってよい区切りでありますように!