260兆円のロケットと、32万円の映画が並び立つ世界で
予告編を見た。
俳優が一人も出ていない。なのに、人がいる。
街がある。光がある。表情がある。
「これ、本当にAIだけで作ったの?」と、しばらく画面の前で止まった。
作品の名前は「Dreams of Violets」。
2026年にイランで起きた民主化運動の弾圧を、少年の視点から描いた75分の映画だ。
監督は、2009年にイランを脱出した兄弟、Ash KooshaとPooya Koosha。
実写で撮ろうとすれば、出演者も、スタッフも、資金も、すべてが危険にさらされる。
だから生成AIを選んだ、と彼らは言う。
制作費は2000ドル。日本円で約32万円。
前回のブログでは、時価総額260兆円の「宇宙最強の物理インフラ」を引っ提げて上場するスペースXの裏側で、まだ誰も信じていなかった2019年に50倍のプレミアムシートを仕込んでいたバケモノ投資家たちの頭脳戦について書いた。
しかし今朝、デスクでコーヒーを飲みながら目にしたのは、その対極にある「わずか32万円のインフラ」が、100年続く映画産業の前提をひっくり返したというニュースだった。
短編の自主映画でも、機材レンタルや編集だけでその額を超えることがある。
それで75分の長編が、主要映画祭で上映される水準になった。
ここで起きていることは、たぶん「映画がうまく作れるようになった」という話ではない。
誰が物語を持てるか、という問いが変わり始めている。
これまで映画には、前提があった。
資金があること。制作体制があること。撮影できる場所があること。
その前提を満たせる人だけが、映像で語れた。
でも今回は、その前提そのものを飛び越えた。
語りたい物語があった。語れる場所がなかった。
だから技術を使った。
それだけの話のように見えて、実はそれがいちばん根本的な話だと思う。
ゲームでも似たことを感じていた。
ドラゴンクエストにGeminiが入って、スライムが自分の「今この瞬間」を知るようになる。
「あの戦闘、危なかったね」と言ってくる存在になる、という話を以前書いた。
あのとき感じたのと同じ感覚が、今回もある。
コストの壁が下がると、「作れなかったもの」ではなく「語れなかった声」が出てくる。
それが映画の場合、特に重さを持つ。
イランの民主化運動を描こうとして、これまで世に出なかった作品がいくつあったのだろう。
資金がなかった作品。撮影者を守れなかった作品。流通に乗らなかった作品。
そういうものが、静かに積もっていた。
もちろん、批判もある。
Koosha兄弟が自分たちのAI企業の宣伝のために作ったのではないか、という声もある。
生成AIが描いた映像が「本物の映画」として扱われることへの違和感もある。
ただ、予告編の中の光の表現を見たとき、何かが届いてきた気がした。
これがAIの出力だとわかっていても、そこに「作ろうとした人間」の意志はある。
技術が変わると、問いも変わる。
「どう作るか」から、「誰が語れるか」へ。
片や、イーロン・マスクが260兆円の圧倒的な物理インフラの力技で「火星に100万人を住まわせる」という壮大なロマンを追いかける。
片や、亡命した兄弟がわずか32万円で、自国の悲劇と魂の物語を世界に解き放つ。
その両方が同時に成立する。
これだから、2026年という時代は面白くてやめられない。
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