星野誠 makoto hoshino

やりたいからやるわけだから、死んでも訴えない!

2019.2.10

「宇宙を目指す上で、死の恐怖ないんですか」

「山を目指した時死の恐怖なかったんですか」

と言われることが多いのですが、「死の恐怖、勿論ある」「高所登山の面白さは?」と聞かれた時の答えも同じで、「死の恐怖」

例えば、フルマラソンを走るときに「このマラソンのどこかで死ぬかも」なんて「死」を意識して走る人はいないでしょう。アイアンマンなどの長いトライアスロンだってそう。死ぬかも?なんて思って走っている人は普通はきっといない。

でも、高所登山は違う。

いつ死ぬかわからない。そこが、格段に面白いところ。

勿論、死にたいと思って山に登るわけじゃないし、絶対死なないと思って登るわけだけれど、常に死の危険があるっていうこと、それが最も面白い。

ケネディ大統領の演説で、

「なぜ高い山に登るのか?それが困難だからだ!」

というのがあるけれど、まさにそンな感じ。

死の危険は嫌!なんて人はそもそも山へ行かないだろうし、行っちゃいけない。

なので、日本でも冬たまにおきてしまう

「冬山で死者が出ました。だから山は危険だ!やめよう!誰が悪い!」

のようなニュースにはいつも疑問がわく。

そもそも、冬山ってたぶん、行く人が覚悟を持っていくべきだし、覚悟持って行って、楽しんでる最中なら死んでもしょうがない。本望じゃないか。逆にそれが、本望と思えない人は冬山なんて、いっちゃいけないではないか?夏の山にしていたほうがよかったのではないか?色々あったのかもしれないけれど、そもそも自分の意思でした選択だったんじゃないか?

楽しんでる最中に、死んじゃったらしょうがない。

病気で死ぬ、不慮の事故で死ぬとはわけが違う。

冬山は、そう思える人が行くべきだ。

宇宙だって、もちろんそうだろう。

だから宇宙行って死んでも、山行って死んでも、関係者や仲間を訴えるとか検討違い。

以前、アメリカでスカイダイビングやったときも長い誓約書に、

「おれがやりたいからやるわけで、死んでも訴えないよ!」

みたいな一文があった。それと同じ類のことだろう。

話はちょっと飛ぶけれど、以前、飛行機が無性に怖い時期があった。

乱気流なんかで揺れると

「あ〜あああ、こんなとこで死ぬのはごめんだ!違うところで命を使わせてくれ!頼む頼む!」

と無性に怖かった。

ただ、それもある時期から、無くなった。

「そもそも飛行機を乗るという選択も、自分が選択してるわけだし、まあ落ちてもしょうがないかっでも頼むから落ちないで♡ ほんとにほんとに頼むから♡」となった。

とにかく宇宙も高所登山も、極端な話死の覚悟をして、その上で「絶対何があっても死なない!」と思って行って、絶対死なないように全力を出しきる類のものなんだと思う。

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