星野誠 makoto hoshino

そもそも「答え」っていらない

2018.3.9

ちょっと思ったんだけど、相談でアドバイス求められても、そもそも「答え」っていらないのかも。たぶん今後出てくる、娘たちの対話に関しても。

今は長女もまだ7歳だから相談なんてないけど、中学、高校ぐらいになった時に、例えば、「〜をしたい」「〜をしようと思う」「〜に迷っている」といったようなことで相談されたとして、自分の経験から、「やりたいこと」とか「迷っていること」を見てアドバイスしても、たぶん、ほぼ長女の出す判断と自分の出す判断は違ってくる。

でも、だからといって、自分が先回りして「こうだよ!きっと!」っていっちゃうと、やっぱりダメな気がする。「こうだよ!きっと!」というものがあっても、大抵はその人自身、もうすでに自分の中に答えを持っているし、こっちらからは何も提示しないほうがいいのかも。

そもそもアドバイスなんてもらっても、それを実践できる人のほうがマレだし、「今思うと確かにあの時、父親のいったことは正しかった」みたいに、相談とは違う方向いって、痛い目にあったあとに

「今思うと確かに」と思うのが普通であって、アドバイスの時に、その人に響き行動まで結びつくことなんてまず少ないんじゃないか。自分は毎回必ずそうだし。

だから「ここ落とし穴、ここに落とし穴、この道がショートカットだよっ!」て言っても結局無駄。結局は、自分で落とし穴に落ちるなきゃわからない。だからアドバイスなんてなしで、その人がやりたいようにやらせる。それが、やっぱり一番なのかもなぁ〜

要は人生には近道なんてないんだろうから、アドバイスを求められても、ただただ話を聞く。それで、どんなことにも「なるほど!それもあるかもね!」と相手を包み込む。それだけに徹するのが一番いい気がした。やっぱり。

あと、絶対 こっちがいいと思うこといっても、自分自身で答えを見つけてもらわないと、「パパは自分のことをわかっていない」とかなるんだろうし。「答えを与える」という発想はもちろんだけど、「導いていく」という発想自体ももしかすると、おこがましいのかもな〜

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