星野誠 makoto hoshino

お金も信頼も犠牲にした「背水の陣」と「排水の陣」

2017.12.13

いつも結果的に背水の陣になる。

10年ほど前、どうにも、ふぬけだったころの自分は、今もお世話になっている経営の恩師に、常に口をすっぱくいわれていた。

「自分の身銭をきって常に学んでいけ」

「逃げ道をつくるな!退路を絶って責任を負え!」

「すべては人生勉強だ。自分の身銭をきるから、痛い思いをするから勉強になるんだ」と。

当時、自分は27歳で初めて自らの会社を作り独立した後も、じつは、以前お世話になっていた大黒屋というところで、もう本当に散々お世話になっていた。

お金がなくなると、

「ぷるるるる(電話の音) あっ 会長ですか、またお金なくなっちゃたんで、すみません、働かせてもらえますか?」

と電話をかけて、

「じゃあ、なになに店にいけ」

と、どこかの大黒屋の店舗で週2ぐらいで働かせてもらう。

そうなると、結局お金に困らなくなる。とにかく、いつも なあなあ。いつでも、まあ、いいか。そんな感じだった。

最初に自分で作った会社は、そんな 「ふぬけた」感じで続けていたから、もちろん、3年ほどたっても、まったく成果はでなかった。で結局つぶれた。

29歳ぐらいでほぼ無職、でも自分には、実家があった。会社に入った後、実家を離れていたけれど、29歳からの半ばから4ヶ月ほど実家に戻った。我が子は可愛いから、帰ってくるなとはいわれないし、帰ると、結局何もしないで生きていけてしまう。そうなって、結局自分はやっぱり何もしなかった。もうこの時は、排水の陣だった。

あっ、ちなみに、「排水の陣」とは僕が勝手につけたもので、以下のようなことです(笑)

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お金に困らない状況、ようはふぬけた状態でも生きていける状況。お金の使い方や生き方が排水溝に流しているような使い方をすること。

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そんな状況だったんだけれど、さすがに、30歳を前に、これではいかんと、もう大黒屋に甘えて、働かせてもらうなどもやめ、実家に戻るのもやめて、あえて東京の代田橋にあった賃金2万の風呂なしのもぐりのアパートに移り住み、株式会社誠という今のメガネ屋を作った。

そして、結婚もすることにした。30歳から、人生に少しでも責任をとっていくことにした。ここからが、僕の背水の陣。

「背水の陣」

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わざと川を背にして陣をとり、味方に退却できないという決死の覚悟をさせ、敵を破ったという故事

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そんなこんなをしていて、今年あっという間に39歳になった。30歳から今までの10年は、自分にとっては、身銭を切る、背水の陣をはるというのが何より必要だった。

今までの自分の背水の陣は、お金だけじゃなく、それまでのすべて信頼も破壊して一つに向かうという、本当に極端なもので、褒められたものではまったくない。この荒治療で、「ふぬけ病」はなんとか克服できた。ただ、今回人様に対して払った犠牲はものすごく大きい。

モチベーションの上げ方は人それぞれなので、身銭切らなくても、背水の陣にならなくてもそれと同じパワーをだせるならば、それが本当は素晴らしい。だから、今後の10年は、人に迷惑をかけるような、背水の陣はできるだけ張らないようにしたい。

ここ10年、自分は、背水の陣でないと動けないタイプだったけれど、これから会う人には、「あっ、こんにちは。誠です。退路を絶って、背水の陣張らなくても、やっていける男でして、自分の前に架空のニンジンぶら下げて、やみくもに追うのが得意なんですっ!」

としたり顔で 言い切れるようにし、今後の10年は 今までご迷惑をかけてきた方々に対しては、少しずつでも 恩返しできるように生きていきたい。

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