星野誠 makoto hoshino

承認欲求がいらなくなる日

2026.5.20

承認欲求。

「あの人、人の目を気にしないよね」
「なんで批判されても全然気にしないんだろう」

気にしないのではなく、必要がないのだと思う。

水が足りている人は、水を探し回らない。
自分の中に「自分でいい」という感覚が満ちていれば、外から補充しようとしなくなる。

承認欲求が強い状態というのは、いわば慢性的な渇きだ。

何かほめてもらう、認めてもらう、「いいね」がつく。
一瞬潤う。でもすぐにまた渇く。

外からもらうものでは、なかなかその渇きが癒されない。

誰かに「すごいね」と言われれば言われるほど、次の「すごいね」がほしくなる。
SNSのフォロワー数が増えれば増えるほど、もっと増やしたくなる。

あれはたぶん、本当に求めているものではないから。

自己肯定感というのは、自分を「すごい存在」だと思うことではない。

失敗しても、格好悪くても、不完全でも、それでもまあ大丈夫だという感覚。

そこが揺るがなければ、外から何か言われても、根っこは動かない。

過去を振り返ると、承認欲求が強かった時期は、だいたい行動が止まっていた時期と重なる。

山に登っていない、新しい場所に行っていない、同じ毎日が続いている。

同じ景色の中にいると、自分の輪郭が薄くなってくる。
輪郭が薄くなると、外から確認してもらいたくなる。

「自分はここにいる」という証明を、人の反応に求め始める。

逆に、未知の場所に放り込まれているとき、人の目はどこかに消える。

エベレストに登っているとき、「いいね」の数なんて考える余裕がない。
海外で会社を立ち上げようとして、毎日わからないことだらけのとき、誰かの評価を気にする余裕すらない。

ただ目の前のことをやるしかない状態のとき、自分の中に何かが蓄積されていく気がする。

それが積み重なって、少しずつ「外からの評価」への依存が薄れていくのかもしれない。

ただ、承認欲求が「悪いもの」だということではない。

人に認められたい、喜ばれたいという気持ちは、人間の自然な感情だ。

問題は、それが「なければ動けない燃料」になってしまうことだと思う。

あってもいい。ただ、それがないと自分を保てない状態は、少しきつい。

自己肯定感が高い人が承認欲求を持たないのではなく、持たなくても大丈夫な状態にある。

これはたぶん、大きな違いだ。

では、どうすれば自分の中が満たされていくのか。

正直、答えは持っていない。

ただ、行動しているとき、新しいものに触れているとき、自分の中の何かと正直に向き合っているとき、少し満ちる感じがある。

昨日と違う場所に行く。知らない人と話す。自分の思っていることを、誰にも見せない日記に吐き出す。
そういう地味なことの積み重ねが、意外と大事なのかもしれない。

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