「人を遣うには、それぞれの善所を用い、外の悪しきことは叶わぬものと思いすつるべし」
「人を遣うには、それぞれの善所を用い、外の悪しきことは叶わぬものと思いすつるべし」(徳川家康)
自分のことは棚に上げて、人に対して「もっと〇〇であるべきだとか」とか多々思ってしまう。これは間違いなくよくない兆候で、わかっているのだけれど、なかなか治らない。
儒学者の佐藤一斎は、「あれは一個の法螺吹きだ」(高杉晋作)や勝海舟に「如何にもおれは天下の師だというように、どうも始末にいけなかったよ」といわれていた佐久間象山の傲岸不遜の短所を、「傲岸不遜は象山の長所であるから、まんざら捨てたものではない」と言っていたという。人間が本当大きい。
生きていく上で、日々他人の一般的な短所も「まんざら捨てたものじゃない」と思えるような心意気が絶対必要で、「人を遣うには、それおぞれの善所を用い、外の悪識ことは叶わぬものと思いすつるべし」というぐらいの大きな器が必要なのだ。
最近、Z世代、Z世代とか、世代のせいにするような記事をよく見るが、いつまでも能動的に自分の好奇心をもってすべての事に接していたい。いつになっても、受動的に原因を時代や外のせいにせず、自主性を保っていたい。